遊び=Playや DIRFloortime®、ニューロダイバーシティに基づく実践について

フロアタイム教育機関CEO、ジェフ・ガンゼル氏からのメッセージ

※この文章はジェフ・ガンゼル氏の許諾を得て翻訳のうえ転載しています。オリジナルのテキストはこちらに掲載されています。

ここ数週間ほど、会議やイベントで講演する機会が何回かありました。それぞれニューロダイバーシティやDIR®、自閉症児への療育における倫理的な配慮、そして遊びに焦点を当てた講演やイベントだったのですが、そこで、さまざまな質問を頂きました。DIR®における遊びのプロセスの中で、ニューロダイバーシティをどのように取り入れるのかという疑問をもたれている方が多くいらっしゃいましたので、これに答えるべくいくつか要点をまとめました。この中でまとめているのは、この2週間で私がしたためてきた覚え書きでもあります。セラピストに考慮いただきたいポイントを25項目にまとめています。まずは、ご一読いただき、皆様の考えをお聞かせいただければと思います。

一部の項目については、DIRFloorime®は定型発達のようにノーマライゼーションを促すためのものであると認識される方々に向けて書いたものであります。DIRFloorime®はそのような目的として設計されたものではありません。子どもたちの美しくユニークな独自性を尊び、尊重し、成長と発達を手助けするのがDIRFloorime®です。

  1. Play=遊びとは、子どもが行うことや興味を持っていることを基盤とした強みを生かすものになります。Playは、子供たちを操作するためのものでも、欠点を補うためものでもありません。
  2. 遊びの中では、子どものリードに従いましょう。
  3. アクションは交流の中で生まれていきます。発達は遊びを通じた交流の中で起こるものです。
  4. 自分の意図した遊びを強いるのではなく、子どもと純粋に関わり、遊びに参加し、子どもが自分の意思を広げ、それをさらに汲み取るための手助けをしましょう。
  5. 遊びとは、定型発達児の規範を教え込むためのものではありません。定型発達児の基準やセラピストが決めた項目を押し付けるのではなく、DIRFloorime®ではそれぞれの子どものユニークな側面を誇りに思い、理解しようと努め、彼らの個性的でニューロダイバースな道を切り開く手助けをします。
  6. 思いやりを通じた自然発生的な遊びは十分とは言えません。こうした自然発生的な遊びは多くの場合、行動を正常化するという目的があるため、子どもの精神状態には負担がかかる可能性があります。思いやりを通じた自然発生的な遊びは、従来の行動ディスクリート・トライアル・トレーニング(DTT)を更に進化させたものであり、擬似的な愛情の交流で時間を記録しているにすぎないと考えています。このような子どもを操作するような手法を続けていると、子どもたちが優しさと愛情は欲しい物を手に入れるための手段であるという感覚を持つことになりかねません。
  7. セラピストは遊びに参加し、その遊びの一部になりきる必要があります。それは子どもが自分自身の存在と行動を理解し、管理するための内的能力を発達させるための鍵となります。これはセラピストや他の誰かが決めた望まない(自閉症的)行動を管理したり、変えたり、コントロールするために遊びを使うのとは異なります。
  8. 遊びの中で褒美や罰を与えるのは避けましょう。結果的に自然と起こるものは避けられませんが、セラピストが意図的に報酬や罰を与えるべきでは決してありません。子どもは一緒に遊ぶ相手からジャッジされるために遊びに参加しているのではないはずです。それが目的なんだと思わせるべきではありません。
  9. 遊びは探求と発見に基づく素晴らしい学びの機会です。記憶ベースのタスクの導入は遊びの美しさを損なうものです。
  10. 遊びの中でモデリング(行動の見本)を見せるときは十分留意しましょう。モデリングは多くの面で役に立ちますが、定型発達型を押し付け、セラピストが主導する方法に流れるというリスクがあります。モデリングはコミュニケーション、言語、そして他の重要な事柄における発達を助けますが、セラピストは定型発達型やセラピスト自身が決めた規範を押し付けないよう、十分に注意する必要があります。
  11. 定型発達児と「見分けがつかなくなる」ということは、ゴールではありません。これは、明示的にも黙示的にもゴールにはなりえないことなのです。セラピストは自己内省という過程を通し、見分けがつかないという暗黙の目標を許さないように、自分自身に常に挑戦しなければなりません。普通になる、正常化するということが目的ではありません。
  12. 一般的にプロンプト(促し)は避けるべきであり、決して一つの「正しい」反応を促すべきではありません。一つの反応を得るためのプロンプトは、往々にして何が正常であり許容できるのかというセラピストの信念に基づいたものである場合がほとんどです。既存の別の療法などが基盤にある場合もあります。セラピストが正しい答えは一つであると決めつけ、それを促すことはつまり、規範を決めつけ、それを子どもに押し付けていることになります。
  13. 遊びは本来、発達過程の一つです。子どもたちは遊びを通して核となる社会性と情動の能力を発達させます。遊びは教えることよりも発達を促すことにフォーカスすべきでしょう。子どもたちは遊びの中で学びますが、それは彼らが探求し、発見し、発展させる過程で起こります。大人はしばしば子どもの遊びの喜びを利用してこんなことを言います。「さあ、あなたを捕まえた。この黄色いボールは黄色いということを教えよう。(黄色いボールを持ち上げて、)黄色と言ってごらん」。果たして5歳児が他の5歳児と遊ぶとき、黄色いと分かっている黄色いボールを持ち上げて「黄色と言ってごらん」と聞くことがあるでしょうか?
  14. 遊びのゴールは、遊びを広げ展開していくことにあります。ここにフォーカスすれば、定型発達型やセラピストが決めた視点を押し付けることなく、子どもを十分に評価しながら、彼らの成長と発達を促進していることでしょう。
  15. 行動調節不全にのみ対処していくのではなく、相互調整(co-regulation)と自己調整(self-regulation)の発達に取り組みましょう。行動に照準を定めるセラピストの多くは、遊びの中で「調節機能不全を管理する」と語ります。もしセラピストが調節機能不全を管理したり、さらには子どもにどう調節機能不全を管理するのか教えようとしているのならば、それは「トップダウン」でより外的に動機づけられた過程となるでしょう。遊びに参加することは、私たちに相互調整の機会を与えます。それは子ども自身の自己調整の内的「ボトムアップ」の発達を助けるものです。私たちは皆、自己調整のテクニックを学ぶことはできますが、しかし私たちには遊びを通じて自然な相互調整のプロセスを使い、自己調整の発達を促すことができます。それは、自分はこの世界で平静であり大丈夫であるという体内からくる感覚で、外側からのコントロールや自己調整に関する「戦略」に常に頼る必要がなくなるのです。私は大丈夫であり、自分で調整することができるのだと。もっと洗練された言い方をするならば、大脳皮質下の調整機能は遊びによって発達させることができ、私たちはそこにフォーカスすべきなのです。大脳皮質の活動が皮質下の組織をどのように制御しているのかに関連した戦略を教えることもありますが、それは教える過程であって、発達の過程とはあまり関係がありません。私たちは遊びを発達の過程としてフォーカスするよう取り組んでいます。
  16. しばしば「問題的」または「挑戦的」な行動とも表現される彼らの困難な瞬間を通して、子どもと関わりを持ちましょう。これは行動を変えたりコントロールすることに焦点を当てるのとは異なります。困難な時を通して子どもに関わりそのプロセスに参加することによって、単に行動を消滅させるのではなく、中核となる能力の発達を促すのです。例えば、子どもにその能力がない時にしばしば起こるメルトダウンを単に消滅させるのではなく、子どもが社会的な問題解決を共有できる能力の発達を助けることが目標であるべきなのです。メルトダウンを消したところで、共有された社会的問題解決の必要能力を作り出す助けにはなっていません。社会的問題を解決する能力は、困難な社会的状況で成功するために必要なものなのです。
  17. 問題行動を消滅させることに、終わりはありません。これは、そもそも目的ではないのです。私たちの遊びのゴールは発達と成長を促すことです。発達と成長に伴い、子どもが自分自身や自分の世界を制御するのに必要でなくなった行動や、もしくは自分がいる世界がこれから関わりたい世界への道を邪魔する時にその行動は消えていくかもしれませんが、それらの行動を消滅させることがゴールではないのです。例えば、私たちは手をヒラヒラさせる行為をなくすことを目標にはしません。多くの場合、子どもがより規則正しい生活を送り、ものごとに関わり、遊びのパートナーに理解されていると感じれば、手をヒラヒラさせる行為は減るかもしれません(もしくは増えるかもしれません)。しかしいずれにせよ、それはセラピストではなく子どもによって推し進められるものになります。
  18. 順番を守ることについては、セラピストが課したルールだから、ということではなく、その子が望むからそうする、というように意味のある順番待ちができる能力が発達できるよう、セラピストは相互作用の輪のコミュニケーションと交流に焦点を当てる必要があります。単に教える必要のある社会的スキルだとは思わないようにしましょう。
  19. 遊びは社会との繋がり、コミュニケーション、そして交流の能力を発達させることができます。そこに重点をおき、単に社会的に適切と思われるスキルを教えるために遊びを使うことはありません。
  20. 子どもを理解し、そして子どもが理解されていると感じられるように手助けをしましょう。理解されていると感じ、理解されることは、有意義な個人の成長と発達の基盤となります。もしかすると、それ以上に重要なことはないかもしれません。
  21. セラピストは対面の交流を無理に求めるべきではありません。セラピストは子どもと関わりましょう。多くの場合、それが結果的に目線が多く合う対面の交流となります。しかし子どもによってはそのアイコンタクトや熱心な対面の交流に圧倒されるかもしれません。ですからここでの目的は子どもの視点とあり方を尊重して大切にする、有意義な関わりなのです。
  22. 子どもの個人差をサポートするため、セラピストは常に自分の行動や環境を調整しましょう。もしその環境を、もしくはセラピストの行動を変えることでその子どもを適切に支援できるのならば、そうすべきです(例:照明が明るすぎるのであれば暗くする、子どもが嫌がるのであればコロンをつけない、視覚処理に問題がある子どもであれば早く動きすぎない)。これには感覚、運動、身体、または他の個人差が含まれています。
  23. 遊びは常にその子どもと家族の文化を尊重し、包容すべきです。遊びの中で子どものリードを追うだけでなく、その家族の文化にも従いましょう。
  24. 子どもの「ノー」を常に尊重しましょう。それは子どもが常に自分の思い通りになるわけではありません。私たちの主張を子どもたちに押し付けることを避け、もし彼らを不快にさせる何かがあれば「ノー」と言える権利を持たせ、子どもの主体性を養うことを望んでいます。
  25. 楽しんでください。そして子どもがワクワクするような遊びのパートナーになってください。

以上が私のリストになります。抜け落ちていなければいいのですが。

親御さん向けには少し違う書き方をするかもしれませんが、大まかには同じコンセプトが当てはまるでしょう。

ジェフ・ガンゼル

DIR/フロアタイム、CEO

Jeff's Blog (Wednesday, May 4, 2022)